母との闘病日記

母と私の生きた証を残したい

~ 誤嚥性肺炎 疑念-再発の章(7/22) ~

7月22日(土) なんだよ!ふざけるな‼

午前10時半 車椅子を押しながら病院に到着する。

 最初に精算を済ませる為、会計による。

 5日間で(差額ベット代8万円+入院費約5万円)

 初日、救急車で運ばれ夜11時以降に個室に移り、1時間も使用していないのに、

 しっかり1万6千円取られてる。

 「まっ今日退院できるんだから、しょうがないか」と思い支払いを済ませる。

 病室に行き看護師さんに、母の着替えと持ってきた車椅子への移動をしてもらう

 ナースステーションに寄って、スタッフの人に退院の挨拶をして病院をあとにする

 車椅子を押しながら、周りの風景や建物を覚えているか尋ねたが、

 母は終始無言だった。

 家の前の階段に着き、「階段登るよ!さぁ立って!」とサンダルを履かせて

 手をとるが、母が立ち上がり階段の手すりに手をかけたところで、息切れを

 しだし足を一歩も踏み出せない。

 「あれっ~⁉おっかしいなぁ」仕方なくおんぶしてアパートの階段を登り

 ベッドまで運ぶ。

午後1時

 お昼を食べてもらおうと起こすが、いらないと言い起きださない。

午後4時

 母の性分からすると、元気であればチョコマカと動き回り、せわしなく動く

 性分なので少し心配になってきた。

 一向に起きようとしないので病院に電話する。

 すると、「高齢者だと5日程度の入院でも足腰が弱り立てなくなることが

 あります。

 そして、「他に何か異変があれば救急でいらして下さい。」との事だった。

 たった今、退院してきたばかりである。

 「こんなものなのかなぁ?」と思いつつ暫く様子を見ることにした。

午後6時

 夕食の為、起こそうとしたが寝ていたので、そのまま寝かせておく。

午前1時

 認知症が悪化してからは、一番活発に動き出した時間である。

 「やっぱりおかしい!

 夕方から寝返りどころか手足の位置が全く変わっていない。

 体温を測ってみる。

 「「38℃」なんだよー!足腰が弱っても熱はでネーだろーが!!

 119番通報し救急車を呼ぶ。

 救急隊員に容態と今日退院してきた経緯を話す。

 救急隊員の中に5日前にも来た人がいて「あれっ!またどうしたんですか?

 と聞かれ、同じように経緯を話す。

 救急隊員がS会KG総合病院に電話する。

 「最初に患者番号から申し上げます。XXXX-XXXXXこの方、昨日お昼ごろ

 お宅の病院を退院し、現在、血圧XXX-XX、脈拍XX,心拍XX,意識あり、38℃の

 熱が有り、自力で起き上がれない状態です。受入可能ですか?

 5分程度、間があり病院が受け入れてくれることになった。

 病院に到着し母は精密検査を受ける。

午前3時頃

 当直の先生に呼ばれ救急治療室に入る。

 肺の映像を見せられ肺炎になっていると告げられる。

 と言う事は「今日肺炎が治って退院したのに、治っていなかったんですね?

 と聞くと、それには答えず、入院が必要で、2日間点滴と抗生物質の投与をして

 様子を見ます。と言って席を立つ。

 入れ替わりに看護師が「病室は個室にしますか?大部屋にしますか?」と尋ねるので

 「退院するまで空いて無く個室にいたのに、どうせ空いてないと思いつつ

 「できれば大部屋がいいんですが」と伝える。

 看護師が「そうですよね。確認して来ます。」と言って席を立つ。

 数分後、大部屋が空いていましたので、そちらに移動します。と言われ

 「ええっ~~空いてんのかよ!ふざけてんなー」と思いつつも口には出さず

  「ありがとうございます。助かります。」と答え、一緒に救急治療室から

 大部屋に移動する。

日付は、またがったが約16時間の間に退院して入院した1日となった。