母との闘病日記

母と私の生きた証を残したい

~ 誤嚥性肺炎 後悔-再入院の章(9/19)③ ~

9月19日(火)  医師、看護師の診断に反して病院へ行く③

~続き~

午後2時 相談員が手配した介護タクシーが到着する。

午後3時 H病院に到着

 H病院でも同じように検査が行われ、しばし待機する。

暫くするとH病院の主治医となるSK先生から説明を受ける。

説明を受ける前に、先生に母が大腿骨を骨折してから今日までの病状が判るようにと

日記を手渡す。

先生から「S会KG総合病院とは違いxxxという治療法を行います。

この治療法はネット等にも掲載されています。じっくり治して行きましょう。」

そして、入院するにあたり要望、また、退院の条件があればお聞かせ下さい。

と言うことだった。

私としては、医学的知識は持ち合わせていないので、どんな治療法でも治ってくれれば良いと思ったので承諾する。

入院時の要望として、S会KG総合病院では、母がベットから離れたり、寝付けなかった時に、ナースステーション横のレクレーションルームに車椅子に座らせていたので、

同じことをお願いすると、先生から「それは無理です。S会KG総合病院は急性期病院、当病院は慢性期病院です。急性期病院では入院患者7人に対して1人の看護師が

付きます。慢性期病院では入院患者13人に対して1人の看護師しか付けられません。」と断られる。

そして「入院期間が急性期病院だと3週間、慢性期病院で3ヵ月と定められています。

それを越えて入院が必要な場合は、病院を変えて頂く必要があります。」と教えて頂く。

急性期病院と慢性期病院?病院に、そういった種類があって看護師の人数が違う?

入院期間に制限がある?初めて知った事ばかりである。

退院の条件として、前回と同じように、「肺炎が治り室内では掴まり歩きができる程度回復」という事を伝えた。

これに対しては、了承して頂いた。

先生の説明が終わり、H病院の相談員から説明を受ける。

当病院の入院時に、入院支度金として8万円を払い込んで欲しいと話があった。

S会KG総合病院ではそういったものは無かったが、J病院の時には5万円だった。

思わぬ出費である。

一連の説明が終わり、病室に案内されると、母が私を見てベッドから出て歩き出す。

この行動が、この後の入院でベッドに拘束される原因となる。

病室は6人部屋で、母を含め4人の患者がいて、無造作にベッドが配置されている。

雰囲気は殺伐としていて病室とは思えない佇まいである。

使用しているベッドの、両脇の落下防止用の鉄柵は、白いペンキが剥げてさびている部分のほうが多い。

もしかしたら、「病院を間違えたかもしれない」と思わせる光景であった。