母との闘病日記

母と私の生きた証を残したい

~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/12 ~

1月12日(金) 

午後7時 見舞い

今日は目を開けている

話しかけると視線をこちらに向ける

手はパンパンにむくんでいる

呼吸は苦しそう「ア”ア”ア”~ハッ」

それ以外に時折、喉の奥からひきがえるのような音をさせる

午後8時

寝たもよう

寝ていても時折、喉の奥からひきがえるのような音をさせる

午後8時半

目を開ける

バイタル:心拍:75,酸素:93,血圧:100~55,呼吸数:45

~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/11 ~

1月11日(木) 看護師総入れ替え

午後7時 見舞い

病室へ行くと、今まで若い女性の看護師さんだったのが、ベテランの男性の看護師さんに変っていた。

「看護師主任のKMです」と紹介を受ける。

昨日までは、はだけていたパジャマがキチンと着ている

腕を動かす力がなくなっている

点滴をしている腕の辺りのパジャマが湿っている

看護師を呼び点滴が漏れ出していないか確認してもらう

すぐに判らなそうなので再度お願いし帰宅する

又、昨日電話でお願いした皮下点滴の件が先生に伝わっていないことを聞き、これも再度お願いする

午後11時

自宅から病院に電話をかけて、腕から点滴液が漏れていないか看護師に確認してもらう

看護師から、別の理由でパジャマが湿っていたらしい

点滴液が漏れてはいないと回答をもらい一安心

~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/10 ~

1月10日(水) 万事休す

午前9時半

ケアマネージャーに電話し、今日、明日位なら意識があると思うので見舞いに来て欲しいとお願いする

午後3時半 見舞い

主治医の先生から余命勧告(外来診察室)

・検査の結果、手術は無理と判明

 首の内側と外側については、背中が曲がっている為、必要な場所まで届かない

 太腿については手術はできなくはないが、かなり失敗する可能性が高い

・手術するか聞かれたが、手術しないと返答

・腕からの点滴が出来なくなったら余命3日

・腕からの点滴が出来ていても最大2カ月

午後5時

意識レベルが少し下がった

個室から6人部屋に戻る

手を握ると、いつもより汗ばんでいる

午後8時

家に帰り食事、風呂に入るが気になって眠れない

毎日見舞いをして、看護師が点滴の位置を変更するのが大体3日位。

だとすると余命は6日後となる

何か助かる方法がないか思い悩む

午後11時半

そういえば、訪問看護士が家に来て点滴をした時は、お腹に針をさして点滴をしていたことを思い出す

インターネットで調べてみる

・今より医学が発達していない1950年代では、静脈点滴ではなく、お腹からの皮下点滴だった

・最近、訪問看護により、この皮下点滴が見直される様になったらしい

午前0時

病院に電話をかけて、看護師に皮下点滴をしてくれるか問い合わせをする

先生に伝えるようにお願いする

 

~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/9 ~

1月9日(火) 中心静脈カテーテル

午前0時半

意識が回復する

呼びかけると目をこちらに向ける

私だと気づき涙を溢す

握っている手を引き寄せ数分間抱き合う

身体に取り付けられたコードを抜こうとするので、邪魔くさくても我慢してと頼む

午前1時

すぐに眠ってしまった

午前1時50分

目を覚ます

目線は動かないが握っている手を強く握り返す

午前2時

再び眠りにつく

午前6時半

呼びかけると目をこちらに向ける

腕を動かして私の手を握り返す

午前7時

少し目がしっかりしてきた気がする

午前9時

喉がゴロゴロいい始める

午前10時

主治医の先生が訪れ提案を受ける

・今、腕から点滴をしているが、今の場所以外は浮腫になっていて、点滴の針が刺せない (刺しても点滴液がこぼれ出てしまう)

・肺炎が治まり経鼻接種で栄養補給を再開したが、嘔吐し危篤状態となった為、今後は中止する

・腕からは点滴ができないが、もっと太い静脈から点滴を行う方法がある

・医学用語で「中心静脈カテーテル」と言う方法で、3つの中の太い静脈のどれか一つを選んで点滴を行う(太腿、首の外側、首の内側)

・簡単な手術が必要で、その為にどの場所が可能か検査が必要となる。又、同意書にサインが必要

・この方法で点滴が可能になれば、かなりの栄養補給が可能となる

・同意書にサインし先生にお願いする

午後3時半

バイタルが低いながらも安定したので帰宅する

(心拍数、酸素濃度、脈拍、呼吸数)

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~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/8 ~

1月8日(月) 危篤

午後12時 見舞い

 少し肩で息をしている

午後1時

右肩にかけてパジャマが濡れているので交換してもらう

午後1時半

呼吸がア”ア”ア”と痰が絡んでいるようなので痰吸引をお願いする

20分程度で落ち着く

午後2時

また呼吸がア”ア”ア”といいだす

午後2時10分

時折、痰が絡み咳をするが痰を吐き出せない

ウ”ウ”ウ”~と呼吸する

かなり痰が絡んでいる

午後3時半

オムツ交換時、痰や唾液が肺に入らないように体位を上げてもらう

午後4時

経鼻接種により栄養補給

少し様子を見てから帰るつもりでいた

午後4時15分

少し呼吸が荒くなる

午後4時45分

嘔吐する

看護師が集まってきて容態を確認する

危篤状態になる

看護師から親類縁者の方に連絡するように言われる

病院の配慮で6人部屋から一泊6万円もする個室に移動してもらう

午後6時半

心拍数、酸素数、血圧、呼吸数が判るように、母の身体にコードを取り付けモニター画面が取り付けられる

個室への移動が終わり少し落ち着く

喉の奥からア”ア”ア”と呼吸するごとに声にならない音をだす

昏睡状態が続く

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~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/7 ~

1月7日(日) 母にしてあげられること

昨日の出来事で、母の命は長くはないと思い、今、母にしてあげられることはないか考える。

図々しいとは思ったが、近くに親戚がいないので、ケアマネージャーやヘルパーさんに、2~3日の間なら意識を保っていられると思うので、早めに見舞いに来て欲しいと、お願いをする。

そして、母には年を取ってからできた友達がいて、駅前の病院で知り合い、一緒に巣鴨に買い物に行ったり、家に招いたりもしていた。

そのHTさんにも電話し、事情を話し、お見舞いをお願いした。

それと、母の部屋にあるアルバムと、デイサービスで頂いた各行事の時に撮影した母の写真を、スキャナーで印刷し、今日、病院へ持って行くことにする。

このぐらいのことしか思いつかなかった。

午後1時 見舞い

とても喉がゴロゴロし痰が絡んでいる状態なので、痰吸引してもらう。

 午後1時半

すやすやと寝ている。

午後3時

目を覚ましたので話しかけると頷くことはなく、手を握り返す程度

午後3時半

看護師さんに身体を拭いてもらう。

終始、眠っている。

午後4時

痰がらみのいびきをしている。

~ 誤嚥性肺炎 最終章 1/6 ~

1月6日(土) この背中は⁉

午前10時

デイサービスに行き、母の写真を貰い受ける。

都合の良いことに電子媒体で頂けた。

そして、恐縮ではあったが、もし良ければ早い時期に母の見舞いに来て欲しいとお願いをした。

午後1時 見舞い

1時半頃目を覚まし、プウッ~プウッ~と息をしだし、手すりを力強く握る。

吐き気があると訴え、背中をさすると落ち着く。

背中をさすった時に、背中がブヨブヨしていた。

やせ型でガリガリのはずなのに、すぐにはその理由がわからなかった。

先生から、腕に点滴の針が入らなくなってきたと告げられる。

午後3時半

オムツ交換時、体位を変えた後、吐き気と頭痛を訴える。

看護師さんに、吐き気と頭痛があることを伝える。

午後5時

 看護師さんに、吐き気止めを飲ませて頂き、落ち着いたのを確認して帰宅する。

帰りのバスの中で、何故、母の背中がブヨブヨしているのか考えていたら、愕然とした。

「点滴の輸液が処理しきれなくなって、背中に溜まってきている⁉」

「もはや、残念ながら、そう長くはない」と感じてしまう。