母との闘病日記

母と私の生きた証を残したい

~ 誤嚥性肺炎 死神病院の章(12/20)② ~

12月20日(水)  運命の日・前日(当日)②

15年前、私と両親は近くではあるが別々に住んでいた。

そして、15年前の今日、夜10時頃だったと思うが、母から、お父さんの様子が変だから見に来て欲しいと電話がある。

私は妙に腹が痛くて断ってしまう。

午前0時前後だったと思うが、再び母から電話があり、「お父さんが死んでしまう!早よ来てくれ」と尋常ではない声で叫ぶ。

慌てて両親の家に行き救急車を呼ぶ。

救急隊員が一番近くのS会KG総合病院に連絡をする。

救急隊員:81歳、男性、心肺停止状態、受け入れ出来ますか⁉

30分経っても病院からは返答がない。

救急隊員が、母と私に対して、「我々救急隊は病院からの返答を待ちました。しかしながら、30分が経過しましたが返答が返って来ません。そのことはご了承下さい。他の病院を当たります。」と話す。

すぐに受け入れ先の病院が見つかり、TD中央総合病院に運ばれたが、残念ながら検死をしてもらうだけだった。

そう、12月21日は、父の命日である。

午後10時頃

母が目を覚ましたので、ベッドに座らせて、「カルピスでも飲む?」と聞くと、頷いたので、吸飲みに入れたとろみ付きのカルピスを口元に運ぶと、ゴクゴクと飲み始める。

今迄のことが嘘のような飲み方に、少し回復したのかなと思い、「テレビでもつけようか?」と聞くと、これも頷き、30分程度食い入るように見ていたが、急に力強く私の腕を引っ張りハグしてきたので、「まさか!最後の別れじゃないよな?」という思いを振り切って、吸飲みに他の飲み物を入れて来るから待っててと、台所へ行き戻って来ると、母が黄色い痰を吐いてうずくまっていた。

急いで訪問看護師に電話し、対象法を聞いて、口腔ケア用のスポンジブラシで、口の中の痰を取り出していると、急に目を見開きピクリとも身体を動かさなくなったので、再度、訪問看護師に電話をすると、もう看護師にできることはありません。救急車を呼んで下さい!と的確な指示をもらう。

看護師の電話を切り、119番通報をする。状況を話すと、心臓マッサージは出来ますか?と聞かれ、一度もやったことがありません。と答える。

両手のひらを重ねて肘を曲げず等間隔で胸を押し続けて下さい。間もなく救急隊が到着します。

言われた通りやってはみたが、母が倒れている場所がエアーベッドだった為、胸を強く押してもエアーベッドがクッションになり、押す場所もずれて胃のあたりになってしまう。

しかし、それが功を奏し、痰によって気道が塞がれていたらしく、喉から少し音を立てて呼吸をしだす。だが、以前として目は見開いたままである。

ほどなく、救急隊員が到着し、その場で容態を確認する。

そして、救急隊のリーダー格の人が私に向かって、集中治療(ICU)をしますか?しませんか?と聞かれる。

さらに、集中治療(ICU)を始めた場合、途中で止めることはできません。どうなさいますか?と聞かれる。

以前から、集中治療(ICU)はしない。と決めていたが、いざその場に直面すると心が揺らぐ。もしかしたら集中治療をすれば良くなってくれるんじゃないかと、心の片隅にあるからである。こんな時に相談できる人もいないし自分で決断するしかない。

しばし、悩んだ挙げ句、冷静に原点に立ち戻り、救急隊員に、母は87歳、身体も小さく背中も曲がり衰弱している。50~60代の人ならともかく、母では集中治療に耐えられないと思います。集中治療はしません。と答える。 

救急隊員も、その通りです。と同意して頂き、少し肩の荷が下りた気がした。

~~~ 続く ~~~